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最高裁判所第一小法廷 平成10年(受)456号 判決

上告人

三井生命保険相互会社

右代表者代表取締役

三宅明

右訴訟代理人弁護士

泉弘之

山崎善久

被上告人

近藤内燃機工業株式会社

右代表者代表取締役

近藤鋕一

右訴訟代理人弁護士

田中紘三

田中みどり

田中みちよ

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人泉弘之、同山崎善久の上告受理申立て理由について

一 生命保険契約の解約返戻金請求権を差し押さえた債権者は、これを取り立てるため、債務者の有する解約権を行使することができると解するのが相当である。その理由は、次のとおりである。

1  金銭債権を差し押さえた債権者は、民事執行法一五五条一項により、その債権を取り立てることができるとされているところ、その取立権の内容として、差押債権者は、自己の名で被差押債権の取立てに必要な範囲で債務者の一身専属的権利に属するものを除く一切の権利を行使することができるものと解される。

2  生命保険契約の解約権は、身分法上の権利と性質を異にし、その行使を保険契約者のみの意思に委ねるべき事情はないから、一身専属的権利ではない。

また、生命保険契約の解約返戻金請求権は、保険契約者が解約権を行使することを条件として効力を生ずる権利であって、解約権を行使することは差し押さえた解約返戻金請求権を現実化させるために必要不可欠な行為である。したがって、差押命令を得た債権者が解約権を行使することができないとすれば、解約返戻金請求権の差押えを認めた実質的意味が失われる結果となるから、解約権の行使は解約返戻金請求権の取立てを目的とする行為というべきである。他方、生命保険契約は債務者の生活保障手段としての機能を有しており、その解約により債務者が高度障害保険金請求権又は入院給付金請求権等を失うなどの不利益を被ることがあるとしても、そのゆえに民事執行法一五三条により差押命令が取り消され、あるいは解約権の行使が権利の濫用となる場合は格別、差押禁止財産として法定されていない生命保険契約の解約返戻金請求権につき預貯金債権等と異なる取扱いをして取立ての対象から除外すべき理由は認められないから、解約権の行使が取立ての目的の範囲を超えるということはできない。

二  これを本件について見ると、原審が適法に確定したところによれば、(一) 本件保険契約は、保険契約者がいつでも保険契約を解約することができ、その場合、保険者が保険契約者に対し、所定の解約返戻金を支払う旨の特約付きであった、(二) 被上告人は、本件保険契約の解約返戻金請求権を差し押さえ、保険者である上告人に対し、本件保険契約を解約する旨の意思表示をした、というのであるから、被上告人のした本件保険契約の解約は有効というべきである。

以上と同旨に帰する原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よって、裁判官遠藤光男の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官遠藤光男の反対意見は、次のとおりである。

私は、生命保険契約の解約返戻金請求権を差し押さえた債権者がその取立権自体に基づき解約権を行使することは許されないと考える。

一  多数意見も説示するとおり、生命保険契約の解約返戻金請求権は、保険契約者が解約権を行使することを条件として効力を生ずる一種の条件付権利である。また、右請求権は、生命保険契約の核心をなす本来の保険金請求権とは異なり、解約に基づいて発生する付随的権利にすぎない。

二  生命保険金請求権が差押禁止財産とされていない以上、解約返戻金請求権を差押えの対象とすることが許されることはいうまでもない。しかし、右請求権を差し押さえた債権者がその取立権自体に基づき解約権を行使することが許されるか否かは、別個の観点から検討されなければならないと考える。

私は、次に述べる理由により右解約権の行使は許されないと考える。

1  条件付権利を差し押さえた差押債権者が解約権を行使することにより無条件の権利を差し押さえたのと同じ効果を認めることは相当ではない。

2  付随的権利を差し押さえた差押債権者が解約権を行使することにより保険契約者又は保険金受取人が有する基本的な権利、すなわち生命保険契約本来の目的である保険金請求権を消滅させることを認めることは相当ではない。

3  差押債権者による解約権の行使を認めるとすると、債務者が生命保険契約上有する期待権を著しく侵害する場合がある。

4  取立権に基づく解約権の行使を認めないとしても、解約返戻金請求権を差し押さえたことの意義自体は何ら損なわれるものではない。

三  前記3及び4につき、付言して私の意見を述べることとする。

1  生命保険契約の類型は、さまざまであり、資産運用型の保険から生活保障型の保険に至るまで、種々雑多の保険が存在する。近時、前者の保険類型が多数を占めつつあることは否定できないところであるとしても、保険目的からみて、その基本に据えられるべきものが後者の保険類型であることはいうまでもない。後者の保険類型においては、保険契約者の意思にかかわりなく保険契約の解約が認められるとすると、保険契約者又は保険金受取人が取り返しのつかない不利益を被るおそれがある。例えば、被保険者が末期的症状にある病に冒されているため、近々保険事故の発生により多額の保険金請求権が発生することが予測される場合や、被保険者が現実に特約に基づく入院給付金の給付を受けている場合などに、突如第三者の手によって保険契約が解約されてしまった事態を想定してみると、利益衡量的観点からみても、差押債権者による解約権の行使は、著しくその目的を逸脱したものといわざるを得ない。

2  多数意見は、このような場合には、権利濫用の法理により解約権の行使を制約することが可能である旨示唆するが、いかに債務者側が致命的打撃を被ったとしても、債権者側に主観的害意性が認められない場合が十分予測されることを考えると、権利濫用の法理によりこれを救済しようとすることは容易でない。また、権利濫用の法理は、対立当事者間つまり差押債権者と債務者間における紛争関係の合理的調整にはそれなりに役立つものであるとしても、保険会社という第三者が介在した場合には、この法理を適用して債務者を救済することは、事実上困難なように思われてならない。けだし、差押債権者からの解約権行使が許されるとした場合、保険会社としては、差押債権者からの解約返戻金請求に応じざるを得ないことになるが、保険会社が一たび解約返戻金の支払に応じてしまった以上、保険契約の存続を前提とした保険契約者等からの保険金請求権の行使は、事実上途絶されることになってしまうと考えるからである。

3  預貯金債権等の差押えと対比して考えてみた場合、資産運用型の保険については預貯金債権等に準ずるものとして解約権の行使を認め、生活保障型の保険類型についてはその行使を認めないとする考え方が成り立ち得るかもしれないが、両者を画然と識別区分することが容易でないこと、預貯金債権等の差押えの場合には、解約返戻金請求権の差押えの場合とは異なり、前記二の1及び2記載のような特殊事情が存在しないことなどを考えると、本来の目的類型に属する生活保障型保険を念頭に置いた上、一律にその解約権行使を否定することは、必ずしも権衡を失したものとはいえないと考える。

4  多数意見は、差押債権者が解約権を行使することができないとすれば、解約返戻金請求権の差押えを認めた実質的意味が失われる結果となると指摘するが、そのようになるとは思えない。

私は、債権者が、債権者代位の方法により債務者の無資力を要件として解約権を行使し、解約返戻金を受け取ることは許されると解する。けだし、形成権もまた、債権者代位の対象となり得るものであり、かつ解約権を一身専属的権利とみることはできないから、債務者が無資力である場合には、そのことを要件として債権者代位権による解約権の行使が否定されるべきいわれは存しないと考えるからである。もとより、債権者代位権に基づく解約権の行使は裁判外の行使も可能であるため、第三債務者である保険会社に対し、調査のため過大な負担を課するものではないかとの懸念が指摘されているが、保険会社としては、債権者及び債務者双方に対し資料の提供を求めるなどして右要件の存否を調査することはさほど困難なことではなかろう。また、右要件の存否につき多少なりとも疑問が持たれる場合には、その支払を留保した上、債権者が提起した解約返戻金請求訴訟事件において、裁判上の立証を求めれば足りることである。

債権者としては、債権者代位権に基づく解約権行使の前提条件が整うまでの間に、債務者が自ら解約権を行使して解約返戻金の支払を受け、又は、右権利を他に処分することが予測される場合には、取りあえず右請求権を差し押さえておくことが望ましい。その上で、債権者は債務者の無資力を明らかにして解約権を代位行使することも考えられるのであるから、差押えの実効性が存しないとは限らない。

四  以上要するに、私は、差押債権者である被上告人の取立権自体による解約権の行使を認めた上、上告人に対し解約返戻金の支払を命じた原判決には法令の解釈を誤った違法があり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決を破棄した上、被上告人の本件請求を棄却すべきであると考える。

(裁判長裁判官藤井正雄 裁判官小野幹雄 裁判官遠藤光男 裁判官井嶋一友 裁判官大出峻郎)

上告代理人泉弘之、同山崎善久の上告受理申立て理由

一 原判決の判旨には、法令の解釈に関する重要な事項が含まれている。以下、詳論する。

二 生命保険契約における、差押債権者による解約行使の是非については、次のとおり下級審の裁判例が分かれている。

1 差押債権者は、民事執行法一五五条の取立権に基づき、当然に解約権を行使しうる、とする見解(無限定肯定説、大阪地裁昭和五九年五月一八日判決、判時一一三六号一四六頁)。

2 差押債権者は当然には解約権を行使しえないが、保険契約を保障性の強い保険と貯蓄性の強い保険に大別し、後者については、執行債権者は債権者代位権により解約権を行使し、解約返戻金を取得しうる、とする見解(限定肯定説、東京地裁昭和五九年九月一七日判決、判時一一六一号一四二頁、大阪地裁平成五年七月一六日判決、判時一五〇六号一二六頁、東京地裁平成六年二月二八日判決、判時一五二一号八二頁)。

3 右2と同じく保険契約を保障性の強い保険と貯蓄性の強い保険に大別し、前者については、差押債権者は債権者代位権により解約権を行使し、解約返戻金を取得しうるし、後者については、当然に解約権を行使し、解約返戻金を取得しうる、とする見解(修正限定肯定説、東京地裁平成一〇年(ワ)第五〇八三号取立債権請求事件平成一〇年七月二八日判決、判例集未登載)。

三 ところで、旧執行法(旧民事訴訟法第六篇)においては、差押命令自体に取立権がなかったため、差押債権者は、取立てのため、別に取立命令又は転付命令を取得しなければならなかった。そして、差押債権者が転付命令を得た場合には、契約上の地位自体が差押債権者に移転することを根拠として、差押債権者の解約権の行使を容認することが生保会社の大勢であった(他方、取立命令を得たに留まるときは、差押債権者の解約権の行使を拒絶していた。)。

ところが、現行法の施行により、差押命令自体に取立権が認められたため、新たに転付命令を取得する煩が差押債権者に嫌われ、次第に差押命令のみにより解約返戻金の支払いを要求する差押債権者が次第に増加してきた。そのため、生保会社と紛争が生じ、前記のとおり、多数の見解が示されるに至ったものである。

四 生保会社たる申立人としては、原判決の見解(前記二1)は、私債権についてまで、保険契約の生活保障機能を一律に奪う結果となるため、立法措置がある場合はともかく、現時点においては、顧客に対する立場、ひいては、保険会社の相互会社としての社会的責任からして、直ちに受け入れることができない。しかし、最高裁の判断にて、前記の実務的混乱に決着がつけば、勿論、それに従う所存である。そこで、本申立に至った。

五 なお、新民訴法(平成八年法律第一〇九号)上本手続自体に疑義があることは、申立人としても、否定できない。申立人としては、本申立が適法であると信じるところであるが、専ら訴訟法の問題であるため、生保会社たるに申立人は、特には論述しない。

以上

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